をれをずブログ

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創作の世界におけるAIの台頭に我々はどう向き合うべきか?

 こんにちは。をれをです。ここ最近、創作の世界におけるAIの台頭がめざましいですね。特に画像の分野でMidjourneyStable Diffusionmimicといったサービスが雨後の筍のようににょきにょきと芽を出してきました。

 まあすごいので、知らない人は見てみてほしい。

midjourneyのツイッター検索

stablediffusionのツイッター検索

(mimicは公式サイトから見れます)

 小説の世界でも、AIのべりすとみたいなものが出てきていて、作曲についても、詳しくありませんがいろいろなサービスが出ているようです。画像、文、音、と作れるのなら、まだ人間にしか作れない領域ってなんだろう、ということを考えたくもなってきますが、それはおそらくきりがないので、逆にAIが進出しやすい分野で、AIは何ができるのか、我々はどう付き合っていくべきか、ということを考えます。

 

1 AIは何ができるのか

 AIってなんかスゴそう!なんでもできる魔法の箱なんでしょ?えー怖い!いつか人間に反逆するの!?!?

とか思ってる人いるんじゃないでしょうか。夢のない話、AIというのは、所詮アルゴリズムであり、コンピュータプログラムです。データから結果を出すプログラムだと思えばよくて、画像生成の例で言えば、与えた画像を学んで、それを組み合わせて出力する、と思えばいいです。なのでデータに(部分的にでも)ないものを出すことはできないし、画像を作るAIが人間に憎しみを抱くこともありません。

 

2 AIは創作が「得意」なのか?

 ぼくの認識では、AIは創作が苦手です。AIが最も得意なのは、もっと単純な二値分類とか、ラベリングとか、簡単な予測であって、創作は難しいことのはずです。ではなぜ、いまAIは創作をしているのか。それは、二値分類タスクとかより難しくて、かつ難しすぎないことだからなのだと思います。つまり、今まで創作は難しかったのが、技術の進歩により、手がかかるようになった、というところだと思います。

 以前、創作というのは人間ができる最高の知的な仕事なのだと思っていました。しかし、AIの動向を見て、それは違うと考え直しました。創作はAIが比較的進出しやすい分野のようです。

 「AIは絵を描いてないで確定申告をしてくれ」のような冗談がよくありますが、このような単純作業はAIよりも単純なシステムで解決すべきです。よってAIは進出しません。じゃあもっと知的な仕事、例えば友人と話したのが、要件定義をして俺の仕事を奪ってくれ、というような話でしたが、このような高度な作業をプログラムで実現する術は全く思いつきません。いろいろ考えて、最終的に出した結論は、誤解を恐れながら言うので先の方まで読んでほしいのですが、創作というのは実はそれほど高度な知能を必要としない、AIが進出可能なちょうどいい知能のラインだということでした。特に都合が良いのは音楽と画像で、これらは多少歪んでようが、変なノイズが入ってようが、気にせず鑑賞することができます(デスメタルの自動生成がありましたが、そういうことでしょう)。

創作というのは、そもそも人間の鑑賞が前提であり、失敗が許され、多少のノイズが気にならず、利益や人命などが直接に関わらないので、AIが簡単に入り込めるのだと思います。要件定義に変なノイズが入って、おかしな要件が入っていたらどうでしょうか。自動運転は、もうだいぶできるというのに、なかなか導入できない。だから創作系のサービスがいち早く出てきたのだろうと思います。

 で、誤解を解くために言っておきたいのですが、創作を知能の要らない低俗なものだとは全く考えていません。レベルの低い創作はそれなりの知能で可能で、だからそこをAIが攻めていて、しかしその先は青天井なのだろうと思います。あなたが創作者なら、AIよりいいものを創れますよね(軽率な焚き付け)。

 

3 AIはどこまでできるようになるのか?

 現状は、素人より上手いが、プロには及ばない。しばらくは、その間を這い上がっていくのだと予想しています。囲碁将棋などを見るに、いずれプロレベルになることは、可能性としてはあるでしょう。基本的に、人間にできることは、それなりに遠い未来、機械にもできる可能性があると見ていいです。その先はよくわからない。っていうかその先って何?

 

4 AIは何をどう変えるのか?

 AIといっても、基本的には、新しい機械ができたということなので、工程の一部が自動化されるということです。どういう工程が自動化されやすいかは……まあ、わかりますよね。単純で、知的でなくて、どうでもいいところから、です。画像生成でいえば、漫画やイラストの背景とかでしょうか。ものによるでしょうが。

 

5 AIとどう付き合うべきか?

 ぼくはこの問題を考えるとき、いつも産業革命の例をとります。画像生成が盛んになってからは、写真の例もよく考えます。写真のほうが似た例なので、産業革命は適当に流しましょう。

 産業革命から今の人が学ぶべきことは、機械が出てきたらそれに従うしかないということ、だと思います。より良い織り機や紡績機、つまりより自動化された機械が出てきたとき、手作業で対抗することは不可能です。これは歴史的事実で、次もそうなるでしょう。そのような機械が出てきたら、共存するしかありません。世間は、AIの公開を停止しろ、とラッダイト運動を起こすほうに寄っているようですが、封じ込め作戦は、一つが檻から飛び出してきたら終わりですので、この運動に勝機はないと思います。

 機械で作られた安い織物があるのに、職人の高い織物を買う人がいますか? AIでイラストを無料で、60秒ばかりで作れるのに、イラストレーターに頼む人がいますか? 品質次第では、こういう世界になり、また、その世界になる流れを止めることはできません。我々には、共存の道しか残されていません。

 さて、今度は写真の例を取りましょう。19世紀、カメラが普及しました。当時、ヨーロッパでは肖像画を描いてもらう文化がありましたが、当然、カメラの普及と共に、写真に代わっていきました(早くて安く写真が取れるのに、画家に頼む人がいますか?)。では、肖像画を描いていた画家たちはどうしたのか?

 その答えの一つが、印象派です。一部の画家は新たな表現に挑戦しようと、印象派を作っていったと言われています。で、他の人はどうしたかというと、ここから先は完全な予想なのですが(誰か資料を知っていたら教えてほしい)、選択肢としてありそうなのは、転職、写真家への転身、より優れた写実画への挑戦、といったところだろうと思います。画家であれば当然今までのスキルが活きますし、写真家であっても、構図やポーズなど、いろいろ活かせる点はあるでしょうから、転職以外の選択肢であれば、スキルが無駄にならない点が嬉しい点ですね。

 

 仕事を喰う機械が出てきたときどうするか。いま、3つの選択肢が示されました。

  1. 機械にできないことをする
  2. 機械を使う
  3. 仕事を替える

 これを、画像生成に置き換えて考えます。

5-1 機械にできないことをする

 まず、機械にできないことは、現時点ではありすぎて数え切れませんが、今のところコントロール不可能なのが一番の問題かなと思っています。お題に沿って絵を描いてもらってはいるけれど、その程度。機械にできないことはそのうち減っていきますが、根本的にできないのが「データにないものを作る」ことなので、新たな表現を作る仕事は無くならないでしょう。表現をやり尽くすまでは。

5-2 機械を使う

 イラストレーター、画家として培ってきたスキルを活かして使う側になっちゃおうぜという話。現時点で有り得そうなものを挙げてみる。現実にはいろいろ組み合わせるんだろうな。

  • イデアを出すアイデア
  • AIの出力をコントロールする、プロンプト職人
  • AIの出力を選定する、目利き
  • AIの出力を修正する、修正屋
  • AIを部分的に使う人(背景だけAIに描かせるとか)

5-3 仕事を替える

しかしながら、1, 2のいずれにせよ、今までの仕事とは変わってしまうでしょう。それは避けられません。俺は手で糸をよるのが好きだったんだ!機械なんか触りたくない!って人は潔くやめるか、趣味にしたらいいと思います。まあそれは仕事への姿勢じゃないよね(鋭利な刃物)。

 

6 この変化って誰が嬉しいの?

 嬉しかねーよ!!バカ!!アンポンタン!!!技術の発展が嬉しかったことなんて有史以来一度も無いんだよ!!!

 いや、それはあったか。。。

 機械で自動化される分、人間は他のことに集中できるから、今まで到達できなかったところまで到達できる。それは確実に、嬉しいことだと思う。

 でもやっぱり、悲しいことも多い。誰もがかわいい絵を簡単に作れるようになったらぼくは嬉しいけれど(このブログのアイコンも自動生成だし)、努力した人の特権のようなものが無くなるようで寂しい。現役の画家やイラストレーターのやる気を削いだり、学生のやる気を削ぐようなことになったらすごく悲しい。いつも思うけれど、技術は仕事をつまらなくする。

 

7 それでも世界は変わっていく

 正直なお気持ちの話、ぼくはこの世界が息苦しい。なにもかもやり尽くされて、なにもかも溢れている。おいしい発見は既にされているし、楽しい作業は機械がやっている。インターネットのない時代で、地図を両手に歩いてみたかった。科学も芸術も未開拓だった18世紀、19世紀に生きてみたかった。あるいは、もっと未発展で情報の少ない、狩猟採集や農耕時代を生きてみたかった。きっともっと単純なことが楽しかっただろうなあ。

 でも、でもね。それでも世界は変わっていく。文明は進歩し、決して後戻りしない。後戻りできない。それでも生きていかなきゃいけないなら、豊かに楽しく生きていきたいから、だから、無責任に言うけれど、今まさに変化に立ち会ってる人たちには、機械破壊運動なんかしてないで、シンギュラリティに腐ってないで、その変化の中で、豊かに、楽しく、美しく生きる様を見せてほしい。そうして強い人間の姿を教えてほしい。この記事はそういう人間讃歌ということにして、人間さんが人間讃歌を歌っているということにして、締めたいと思う。