をれをずブログ

あええええばぶばぶ

椎間板ヘルニア奮闘記4 寛解編

 九時に予約した検査に、九時発の列車で向かう。怠惰の朝は遅い。おまけに駅を一つ乗り過ごした。十五分過ぎて、病院に着いた。今日はヘルニアの経過観察で、経過が良ければこれで治療は終わりになるという話だ。
 検査室へ向かう途中、入院の受付を通り、そういえば、と思い出す。一年半ほど前、祖母の付き添いでこの病院に来た。その頃、祖母は腰の痛みが酷く苦しんでいたのだが、入院すればそれが解決すると信じていて、朝になると救急車を呼んでは入院させてくださいと大声で繰り返す、迷惑な患者だった。当然入院できるはずがなく、晩になると我々家族が迎えに行かねばならないのだから、迷惑な家族でもあった。何度か私も救急車に付き添う羽目になったのだが、その頃私は既にヘルニアを患っていて、痺れる足で病院中車椅子を押したものだった。この病院に運ばれた日、祖母はついに入院に成功し、私はというと、その手続で朝から晩まで付きっきりで、一番大変な日だった。最後には身体を起こしているのも辛く、外のベンチに横たわったのを覚えている。
 縁だな、と思った。ヘルニアで苦しんだここで、ヘルニアの治療を受けている。

 検査着に替え、MRIを受ける。MRIでは、検査時に大きな音が鳴るため、ヘッドホンを付ける。経験上無音が多いが、珍しくピアノのヒーリングミュージックが流れていた。曲自体は好みだが、検査との相性は最悪だった。MRIの音が大きくて音楽がかき消されるし、時々不協和音になってしまう。うるさくて曲は聞けないし、MRIの音も集中して聞けない。どっちつかずの時間だった。これは完全にミスチョイスだ。だいたい、MRIに音楽など必要ない。MRI自身が音楽なのだから。必要な音のみが奏でられる、機能的な美しい反復。MRIのビートを聞け、体中の水素原子で感じろ。

 

 

MRIの結果が届いていませんので、かけてお待ちください」
わけの分からない理由で、一時間以上診察を待っていた。順番待ちではない。検査結果が届いていないので、順番待ちの列に入れすらしないのだ。同じ病院だろう、連携はどうなってるんだ。結局、順番待ちが始まる頃にはお昼になってしまった。
 他の人より二周り若い番号が表示されて、私の番が来る。先生と検査結果を見る。椎間板がだいぶひっこみ、神経の通り道がいくぶん見えるようになっている。厚みも少し増し、水分量もわずかに回復したようで、白く映る部分がある。十分だろう。
「これでいったん、終わりにしましょうか」
先生が云う。
 治療から10ヶ月が経った。症状はすっかり軽快した。横着をすると二日三日、右足とお尻に痛みが出たり、足が攣りそうになるが、それも二月に一度くらいだ。
「そうですね」
と頷くと、
「まあよほど大丈夫だと思いますよ」
と先生は笑って云った。
「まあまたなんかあったら来てください」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 椅子を立つときと、部屋を出る前と、二度礼を言って、診察室を後にした。

 帰りに薬局へ寄った。病院を出て駅の向こう側にある、老夫婦がやっている小さな薬局だ。はじめは歩くのが大変だから、病院を出て目に留まった薬局に入っただけなのだが、その緩い雰囲気が好きになり、病院帰りに処方箋を持って雑談するのがお決まりになった。少々手際が悪いところもあるが、その間は話してればいいわけだし、なんというか、重い診察の後にはこのくらいがちょうど良い。前に行っていた薬局は工場化されていて、さながらマクドナルドのようだった。
 今日は処方箋がないから、代わりに花粉症の薬を買うことにした。普段使う薬が無かったが、まあいいだろう。ジェネリックのものがお値打ちだというので、それを買った。花粉症の話をした後、奥さんが奥から出てきたので、二人に治療が終わった報告をして、店を出た。家から遠い薬局だから、再び大きな病気にならない限りは、もう来ることはないかもしれない。
 強風のなか、駅へ足を進める。自分の人生の、一つの章が終わった気分だ。
 彼らとも、先生とも、人生でもう二度と会わないかもしれない。
 今縁がある人とも、あと何度会えるだろう。
 最後だけじゃなく、一つ一つ大事にしたい。人見知りだとか理由を捏ねて、その機会を減らすのって損だ。

 駅のホームで、強風に負けじと、背筋を張る。髪が靡いて、額に張り付いた。
 そろそろ自転車、整備しなきゃな。