午前にどうでもいいツイートみたいな記事を書いた。
要約すると、人付き合いなくてつらいよーっていう話だ(故人の感想)。
これは最近してるツイートみたいなもんなんだけど、たまにこれとセットでしてるツッコミがあった(ツッコミというか自虐?)。だけど午前に片方だけ消化してしまったものだから、どうも居心地が悪い。そこで、ツッコミの方も書いて消化してしまおうと思う。
はいじゃあ、いくよ、ばーん。
「人付き合いがないのがつらいなら、通話でもなんでもすればいいのに。」
うーん。まごうことなき正論。*1
そうだよね。ぼくもそう思う。
でもそれはとても難しい。
「だって一人で全速力で走るほうが一番速いと思わない? 二人で手を取り合って走ると遅くなるでしょ?」
これは美月さんというキャラクターの生き様をよく表していてすごく好きなのだけれど、それはおいといて。
一人で走るのは、速い。それに、楽だ。好きな道を好きなときに走り、疲れたら休めばいい。
二人で走るのは、当たり前だけど遅い。走るペースはもちろん、手の振り方だってあわせないと痛い。気持ちの面で合わせることもある。小学校のマラソン大会だと、一緒にゆっくりゴールしようね、とか言われたりする。いやまあ、それは断ればいいか。
だから、一人でいるのは効率がいい。
時間がないと嘆く友達に対して、友達がいるからだよ、と自嘲ぎみに言ってみることがある(めんどくさいね)。でもそれは、孤独の時間の長さを知ってるからだ。群れを作るのは一人じゃ何もできない弱虫だ、と物語の黒幕が言うようなセリフも少しわかる。*3
でも、本当にそうだろうか。孤高の黒幕を打ち倒す友情パワーは、物語の中にしかないだろうか。
友情パワーはよくわからないけど、それは違う。冒頭の台詞に対して、美月のパートナーは付け足す。
「だって一人で全速力で走るほうが一番速いと思わない? 二人で手を取り合って走ると遅くなるでしょ?」
「だけど、二人で走るとどこまででも行ける。だよね、美月?」
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滑走路を端から端まで、よーいドン!で走るなら、一人が一番速い。
でも、ぼくらの人生は一直線の道じゃない。滑走路を走るのは大空へ飛び立つための助走に過ぎない。旅路には、管制も、いない。
人生よりもっと小さなことだって同じだ。なんだって最初は一人が早いけど、走っているうちに、次第に他のことの重みが増してくる。それはたいてい一人でやるより、みんなでやったほうが簡単だ。そして、楽しい。
たまに、わざと集団から抜けることがある。
集団から離れて、一人でぐんぐん走る。気付けば集団の誰も届かない場所にいる。やっぱり一人は速い。
でもきっと、その道の先に幸せはない。
一人では、本当に上に行くことはできない。切磋琢磨し、喜びや楽しみを分かち合う仲間が必要なのだ。他人と意見を交わして考えを吸収すること。そして自分の成長を見てもらうこと。それらがなければ歩みは遅くなり、いずれ止まってしまう。
では元の集団に戻ればよいのだろうか。──いや、それも理想との間隙に苦しむことになるだろう。そうでなければ、はじめから離れたりなどしない。相当な幸運がなければ、別の集団に加われるようなこともないだろう。
環境に恵まれなかった時点で苦悩が確定する。
たいていのモチベーションは、根源的に他者にあると思う。
たとえば、ぼくが1秒間に32回はらだいこが叩けたとしよう*4。宴会ならちょっとした芸になるかもしれないが、もしそういう場はなく、見てくれる人がまったくいなかったとしたらどうだろう。やり場のなくなった32ビートは、きっと、鼓動をとめる。
誰のためにもならない能力や成果なら、何の価値もない、と思う。ぼくがものすごい発明をしたとして、でも誰も使わなかったとしたら、いったいそれがなんだというのだろう。コーヒーを淹れてくれる店員さんのほうが、ずっと尊い。他者の存在が価値を生み、そしてその価値が自分をモチベートしてくれる。
動機づけてくれる他者がいなければ、高いところへは登れない。いや、たとえ登れたとしても、それがなんだというのだろう。
登山はそれだけでも楽しいかもしれないが、しかし、登山そのものよりも体験を分かち合うことの方が何千倍も価値がある。少なくとも僕にとっては。もう歩くだけはつらいのだ。
理想の環境に巡り会えなければ、幸せはありえないのだろうか。
自問すると、一つだけ答えが浮かび上がった。居場所があればいいかもしれない。
それは、ずっと一緒にいるような集団ではない。しかし、自分の根が張り付いてるような場所だ。ただ帰る場所があるというだけで、人は頑張れる、と思う。
居場所作りか、とため息を付いた。ああ、いやだな、キモオタクにはつらい話だ。聞きたくない。一人でいいよ、一人で。建設的な話になってきてしまって、急に嫌になった。行動したくない。現状に甘んじたい。
きっとまた明日もぼくは部屋に籠るのだろう。
ずっと一人なら、どこまで行けたって意味などないのに。