をれをずブログ

あええええばぶばぶ

僕と腹痛と誘起因子 ―IBうんこサークル活動報告―

今朝、トイレへ二回行った。大きな方の。

一限の無線通信方式を受講して、昼、歯科医院へ行った。その前にまた二回、大きい方のトイレへ行った。クリーニングが終わって、腹部に違和を感じ、もう一度トイレへ向かった。

 

五回。夕方の時点で既に五回の排便。尋常ならざる事態である。

 

もちろん私は、このようなクインティプル・ウンコを習慣としている大便家という訳ではない。しかしながら、このような複数回におよぶ排便を全く初めて経験したという訳でもなく、どのような状況においてマルティプル・ウンコが発生するかということはなんとなく把握している。

念を押しておくが、私は大便家ではない。食べる方だが大食いというほどではないし、胃腸が弱いわけでもない。この記事では、そんな私をクインティプル・ウンコに至らせた腹痛因子について、そしてそのような危機的排便状況をどのように回避しコントロールしていけばよいかということを通じて腹痛について書いていこうと思う。

 

 

腹痛。それは現代人が家を一歩出たその瞬間から、全身を自宅へ収納するまでの間、常に真摯に向き合わなければならない問題、ペインであり、私たちIBうんこサークル員が日夜格闘している問題でもある。

 

そもそも人はなぜ腹痛を我慢するのだろうか。そこから話さなければならないだろう。

君が生まれたばかりのころに思いを馳せて欲しい。産道を通ってこの世界へ出てきた、君の人生の夜明けにだ。そこが君の脱糞人生の夜明けでもあるが、腹痛人生が幕を開けるのはもう少し先になる。そう、そのころの君は腹痛なんて我慢せずに垂れ流していたはずだ。大と小の区別もなく、なにもかもを世界へ垂れ流していた。

それがどうだ、ちょっとばかし成長して、人間の形としてもちょっとかっこよくなってきたころだろうか、君は我慢を覚えた。正確には教え込まれたのだと思うけれど、所かまわず泣き喚きながら脱糞するのをやめて、特設のトイレで排便することを覚えた。そしていつしか、外を歩いていても、トイレへ辿り着くまでお腹をおさえて我慢できるようになるまで成長したんだ。

そうだ。腹痛は成長の証だ。しかしこの成長は、事態をおかしな方向へ向かわせる。

 

小学生には「学校で大へ行かないこと」が正義となる時期がある。学校で大をするのは恥ずかしい、という共通認識だ。腹痛を我慢できるという自信がこうさせたのか、はたまた排便という生理現象のもつインパクトがこのような事態を生むのか分からないが、私もこの認識を持った一人であった。今思うとそうとう凄いことだが、そのころの私はとても成長した子供であり、半日の腹痛の我慢など優にこなすことができた。そうでなかったら教室で破裂していたかもしれない。

 

中学生になるとこのような共通認識は少しずつ薄れ、学校のトイレを利用することはやや普通となる。幼いころは腹痛を我慢することが成長だったのが、今度は腹痛を隠さないことが成長の証となる。高校生ともなれば腹痛をネタにすることに味をしめる者すらいる。

私が腹痛と真の意味で向き合い始めたのは高校生のときだ。

前述のとおり、高校生にとって学校のトイレへ行くことなど大して躊躇うことではない。しかしながら、体育の授業中や、何かしらのグループワークだったり、試験といったものの途中で抜けることはやはり避けたいものだ。つまり、高校生には休み時間に排便の照準を合わせるという一つの目標がある。

 

 高校生の時に見つけた腹痛因子に、音楽を聴くと腹痛が加速するというものがある。そもそも音楽にそういう効果があるのか、はたまたパブロフの犬のように不幸な条件反射を私が獲得してしまったのかは分からない。はじめは困ったが、この因子が「もともと(潜在的に)便意がある時にのみ」便意を加速させることを発見し、むしろ朝の調整に利用することで味方につけた。しかしこれのせいで音楽を聴いて緊張をほぐすといったことが全くできない。

好きな音楽を便意調整に使うという行為は書くだけでもためらいが生じる禁忌なのだが、事実なので仕方ない。全世界のミュージシャンは自分の音楽が排便に使われていると思って震えて欲しい。(ちなみになるべくどうでもいい曲を使うようにしているが、どうでもよすぎるとうまく調整できなかったりする。ほんとどうでもいいし書いてて嫌になってきたけど。)

 

 

さて、そろそろ本題に入ろう。どうして私がクインティプル・ウンコに至ったか、だ。それには以下のような因子が関連していたと考える。

 

①緊張

大学生になってからというもの、私は緊張にものすごく悩まされることになった。人前に立つ発表などはもちろんのこと、もともと引っ込み思案だったのが高校で加速したのもあって、初対面の人と話す、慣れないことをする、といったことですらひどく緊張するようになってしまった。緊張は便意を引き出す最たるものということはゴリラの間でもよく知られている。頻繁に歯科に通うわけでもないので、リラックスしていなかったことは確かだ。

 

②うんこしてしまう可能性に緊張

なにを言っているのか分からないかもしれないが、(実習など途中で抜けにくい授業中などに)便意を催してしまうかもしれない、という緊張によっても便意がもたらされる。これは山奥などトイレが少ない場所へ行くときも同様であり、回避するためにはいつでもトイレに行ける安心感が必要となる。今回も当然当てはまる。

 

余談だが、この点について名古屋大学のIB電気電子情報館は非常に優れた配慮がなされている。IB館は電気電子情報工学科が蓄積してきた半導体集積技術の結晶であり、平面的な集積だけでなく、トイレのみで構成される階層を作るなどの常識を覆す立体的な構造により高集積トイレ建築を実現している。これこそが我々IBうんこサークルが安心して活動できる所以でもある。ちなみに普通に授業中にトイレ行きたくなるし行く。

 

③水を飲む

水飲むと腹がゆるくなる。水は飲むな。

 てかなんで飲んだんだろう。

 

④軽い運動をする

自転車を漕いだというのも要因の一つだろう。腹部を刺激しないことも大事である。ウォーキング程度の運動量がかなり効果的に腹部を刺激するようであり、疾走するとむしろ軽い便意は消えることが多い(強い便意の場合は漏れなく漏れる)。

 

 

以上の因子が複雑に絡み合って今回の事態を招いたと私は考える。これらの分析が読者のポンポンペインライフの手助けとなれば幸甚である。

 

 

 

余談(ボツ)

誰しも幼いころは所かまわず撒き散らしたという話をしたが、更に遡れば猿であったころは地球上全てがトイレだと思ってウキウキ生きていたはずだ。きっとそのころなら世界樹のてっぺんからスケート選手のように回転しながら糞尿を巻き散らしても誰も文句を言わなかっただろう。そんなことを想像すると腹痛を我慢している自分たち人間が馬鹿らしくも思える。

 

でも、腹痛は人類が乗り越えなければならない壁なのだと思う。これは我々が進化・成長してきた証なのだ。成長と引き換えに手に入れたかけがえのない苦痛なのだ。

 

 

便意とは、時に痛みを伴うものだ