むかしむかし、はるか昔...
長期休暇が始まる前だったから、日本がまだ狩りをしていたころだったろうか、たしか「キマツ=シケン」とかいったウイルスが猛威を振るっていたころだったと思うが、なにしろずいぶんと昔のことなので記憶が定かでない。「1年猥談垢」だか、そんな闇のアカウントが発足するきっかけとなったらしいが、こういうことを言ってTwitterのタイムラインをざわつかせた人がいた。
「授業をブッチして遊んでばっかりいる奴らは落単しろ」
「出席してる人が損だから、抜き打ちで出席確認してほしい」
(かなりやんわりと要約)
真面目な大学生には共感を得る内容だろう。自分と同じ環境なはずなのに遊びまくってる人達がいて羨ましい。気持ちは、痛いほど分かる。
しかし、共感で終わらせるわけにはいかない。ここには違和感を持ってほしい。私も縄を粘土に押し付けている場合ではないと筆をとった。
自己目的化という言葉を知っているだろうか。はてなキーワードくんからそのまま引用してくると「目標値の達成や達成手段そのものが目的になってしまうこと。」ということだ。
身近な例を挙げると学校の宿題なんかがまさにその傾向が強くて、宿題の目標は「授業内容の定着」であるはずが、「提出することが何よりも大事」になっていたりする。提出する行為自体に意味がないのは火を見るより明らかだが、いつしかその意味を見失って、宿題の提出そのものが最大の目的になってしまうことがある。
あとは楽しむためにゲームをしていたのに、いつの間にかゲームを続けることが前提でとりあえず作業する、という考えになっていたりするのもそうだろう。
後者の場合は本人が楽しければそれでいいのだが、宿題なんかで自己目的化が起こると多くの人が迷惑を被ることになる。
話を戻すが、さっきの学生の発言は出席が自己目的化している例だ。君は何のために大学に来ているのだろうか。学ぶため・研究者になるため・学位取得のため・就職のため・なんとなく・働くまでのモラトリアム。なんでもいいが、いずれにしても出席をするために大学に来ている人はいないだろう。
出席というのは学生が勉強を継続しやすくするための制度であって、出席することそれ自体に意味はない。
「でも授業ブッチしてる人達は勉強してないじゃん」という刺し込みがきそうだが、それは私たちには関係ない。彼らが勉強しようがしまいが、それは彼らの勝手だ。誰しもが勉強するために大学に通っているわけではないのだ。自分の目的に背かなければ遅刻するも自由、講義切るも自由、留年する・ぎゅっとeはつらいからやらない・遊び呆ける、全て自由だし、むしろそうしないことが自分の目的に背くことだって多い。
講義に出席したらそれは90分間寿命が縮むだけの呪いだったとか、そういう経験は誰しもあるはずだ。彼らにとっては、単位取得可能ライン以上に勉強するのも同じことなのだ。
余談だが、そもそも大学自体が、社会的にはそこで何を学んだかではなく学位自体に価値があると信じられている自己目的化の典型とも言える。その中で矛盾に陥るのは至極当たり前のことなのかもしれない。