をれをずブログ

あええええばぶばぶ

椎間板ヘルニア奮闘記3 ヘルニコア投薬編

 投薬当日。入院手続きを終え、病床に着く。時刻は10時頃。11時頃に投薬の可能性が高い、ということで、すぐに点滴の準備をすることになった。
 前腕の側面の血管に針が刺さる。この瞬間も痛いが、点滴の辛いのは、痛みが続くことだ。針でぐるぐる掻き混ぜられるような痛みと、じんわりとした痛みが交互に襲ってくる。少しの間ならいいが、一体いつまでやるつもりだ? 数時間も針を刺しているなんて正気ではない。いつもの思考に脳が支配される。
 左腕にさながら杭を打たれたように、じっと次の作業を待つ。しかし、待てども看護師は来ない。流石に痛みも治まってきて、飽きた。スマホを貴重品入れにしまったのは失敗だった。この腕には杭が打たれている。ひとたび動かせば、また新鮮な痛みが襲いかかってくる。それは嬉しくない。しかし暇だ。何度か貴重品入れに手を伸ばしたが、痛みに負け、目を閉じ、まどろむことを選んだ。
 あの瞬間、私は確かに死んでいた。針の痛みを恐れ、少しも動けずにいた。スマホという餌を能動的に得ることを諦め、ただ痛みのないように天を見つめる、無気力のマウスだった。
 しばらくして、看護師が来た。点滴の管を液に繋ぐのだ。その前にトイレに行くことにした。するとどうだ、あれだけ起きることを怖がっていたのに、簡単に杭が抜けてしまった。自分でも笑えてしまうが、しかし、仕方ないだろう? 私はずっと、術中の排便を恐れていた。手術を検討していたころは、毎日、「術中にトイレに行きたくなったらどうするんだろう」ということだけを考えていた。用を足したら、なんだか不安になって、二度、トイレに行った。
 トイレを終えて、貴重品入れからスマホを取り出す。11時半。結局、針を刺してから1時間も経っていた。
 作業を再開するため、看護師を呼ぶ。すると、看護師が来るなり口を開く。
「先生が今来ていて、いつですかと聞いたら1時半だと……。だから、点滴は早すぎるので、また後にしますね」
「ええ……」と思わず漏らした。今度は糞ではない。
 しかし点滴を早めに繋がずに済み、脱糞は転じて福を成したといえる。

 二時間の待機。三種の神器スマホ」を使い、時間を潰したが、さすがに手が疲れた。スマホを置き、妄想に耽ることにした。

 こんな病院は嫌だ! 志賀直哉ごっこをする患者
「フェータルなものか、どうか?」

 こんな病院は嫌だ! 太宰治ごっこをする医者
「ちょっとチクッとしますけど、ただ、いっさいは過ぎていきますからねー」
 
 そんなこんなで、投薬の時間が近づいてきた。既に点滴のじんわりとした痛みが心地よくなっていた。もうこの痛みなしでは生きられない。
「母ちゃん、こいつ持って帰ってもいい?」
「いいけど……ちゃんと面倒見れる?」
 見れるわけないだろさっさと抜け。

 時間が来た。看護師二人にストレッチャーで運ばれる。行きはよいよい。仰向けで移動する乗り物を楽しむ。ストレッチャーを上げる作業は少し酔いそうだったが、エレベーターを仰向けで降りるときには得も言われぬ快感があった。
 再びこの透視室に帰ってきた。手術台に移り、右足を下に横になる。背中を消毒される。冷たさも合わさってかなりくすぐったい。体がよじれる。背中の真ん中はくすぐったくないのだが、端の方は、脇腹に近くくすぐったいらしい。
 麻酔を打ち、本命の針を刺す。今回は背中の左側から椎間板の真ん中を狙う。
「神経に刺すつもりはありませんけど、刺したらごめんなさいね」と医者が言う。
 いや、刺すなよ。刺したら恨むからな。言おうかと思ったが、変な念に足を引っ張られて失敗してほしくないので、黙っておいた。
 本命の針もくすぐったくて暴れてヘビニョロニョロ針バーンしてしまうかと懸念していたが、針は普通にただ痛かった。身体の深いところを針で探られる。ブロック注射を入れた時と似た痛みだ。椎間板を目掛けて何度も刺しなおしているのか、あるいは少しずつ進めているのか、感覚だけではよくわからないが、5分くらい続いたと思う。途中、麻酔を追加した。針を動かしていないときは、それほど痛くない。針を進めるときは痛く、たまに神経に近づくような強い痛みがある。椎間板に到達したらしく、上と前から何度かX線で確認して、写真を撮って確認作業は終了した。合図と共に、ヘルニコアが注入される。思いのほか長い。ただでさえ膨張した椎間板が爆発しないか不安になる。
 ほどなく針が抜かれた。終わった。終わったのだ。やった、と息を吐く。肩の力が抜ける。三度、深く呼吸をする。じんわりとした痛みが足の付け根に広がった。汗だくになっていた。頭上のディスプレイを見ると、成人男性の背中を長い針が貫いているあり得ない画像が表示されていた。

 ストレッチャーに移動しようとすると腰に激痛がした。注射したところがぎっくり腰になったような痛みだ。姿勢を変えることが難しい。転がるように、滑って移動した。
 ストレッチャーで病棟まで運ばれる。振動が腰に響く。オタクに優しいギャルみたいな看護師が、「てかカルテ見たんですけど、うちらタメですよ」などと話しかけてきた。うまく答える術を持たなかった私は、「あーほんとですかー」とか言って乗り切った。あまりうまく会話できなかった自信がある。「え、マジ? ウケる」とでも返せばよかったのだろうか。答えはまだ分からない。
 スライダーを使って、ベッドへ移された。スライダーというのはただの板だ。ストレッチャー上でスライダーに身体を乗せ、そこからベッドへ滑り落ちる。使うのがはじめてだったようで、オタクに優しいギャル看護師が「えーおもしろ」と言い放ち、去っていった。
 再び、ベッドに一人。落ち着いたら急に点滴の痛みが蘇ってきた。なんだお前やんのか? いつまで刺さってるつもりだ。

 一時間ほどで痛みは落ち着いた。そのあとは完全に、ぎっくり腰でゆっくり歩く人になっていた。

 夕食はちらし寿司だった。病院食って案外美味いんだな。昼食を摂っていないのもあって、おすましが身体に染みた。